同友会メディカルニュース

2019年5月号
プレシジョン・メディシン(精密医療)について

がん医療においては1990年頃からゲノム(遺伝情報)研究が注目されています。国立がん研究センターは、2018年6月1日、がんゲノム医療の新たな拠点として「がんゲノム情報管理センター(C-CAT : Center for Cancer Genomics and Advanced Therapeutics、センター長 : 間野博行)を開設しました。また、がん患者から得られた遺伝子異常のデータなどを集約・保管し、その情報から最適な治療法を選ぶ「がんゲノム医療」を推進することが発表されました。細胞を遺伝子レベルで分析し、適切な治療法を選択するオーダーメード治療であるプレシジョン・メディシン(Precision Medicine、精密医療)が日本でも本格的に始動します。今回は、プレシジョン・メディシンについて解説させて頂きます。

1.プレシジョン・メディシンとゲノム医療

① プレシジョン・メディシンとは

プレシジョンという言葉には、「精密」、「正確」、「的確」などの意味がありますので、「プレシジョン・メディシン」は「精密医療」と訳されることが多いです。「それぞれの患者に合った最適な治療を行う医療」のことで、がん患者だけでなく、あらゆる病気の患者が対象とされます。

しかし、「それぞれの患者に合った」治療を選ぶことは、実は、とても難しいことです。患者は一人一人体質などが違いますし、がんの場合は、同じ臓器のがんでも患者によって原因となる遺伝子異常が違う場合があるからです。

現在、プレシジョン・メディシンが最も進んでいるのは、がん治療の分野です。今までよりはるかに高速かつ安価に遺伝子を解析することができる「次世代シークエンサー」と呼ばれる機器が登場したことにより、それぞれの患者のがん細胞の遺伝子異常を調べることができるようになりました。そのため、それぞれの患者のがんの性質が、以前より詳細に分かるようになってきています。

「次世代シークエンサー」につきましては、同友会メディカルニュース2012年7月号をご参照下さい。

② プレシジョン・メディシン・イニシアティブ(精密医療計画)

2015年1月20日に、オバマ米国大統領(当時)が行った一般教書演説の中で、「プレシジョン・メディシン・イニシアティブ(精密医療計画)」という言葉が用いられて以降、わが国においても「プレシジョン・メディシン」という言葉が頻繁に用いられるようになりました。

プレシジョン・メディシン・イニシアティブは、100万人規模の患者の遺伝情報および医療記録を含む大規模なデータベースをつくり、患者一人一人の遺伝子、生活環境、ライフスタイルなどに関する違いを考慮しながら、個別に最適な医療を提供し、さらには病気の予防法を確立しようというプロジェクトです。

米国では現在、以下の5つの取り組みが行われています。

  1. 参加者の全ゲノム解析を行う。
  2. 電子カルテにとどまらない健康に関する生体情報を収集する。
  3. ウェアラブル機器をはじめとする様々な機器開発を行う。
  4. 膨大な個人のデータを収集し解釈する情報科学を発展させる。
  5. 個人情報保護や倫理的問題の解決など、研究参加者から理解を得るため
    の社会的取り組みを行う。

プレシジョン・メディシン・イニシアティブの実施には、多様な集団からの100万人の参加者、遺伝情報をはじめとした様々な情報を収集する中央データベース、生体試料を扱う中央施設、そして何よりも、これらの膨大な情報と試料を解析することができる科学者の関与が必要です。

③ 肺がんのプレシジョン・メディシン

肺がんを例に、プレシジョン・メディシンについて説明します。

肺がんには、「組織型(そしきけい)」という分け方があります。患者から取り出したがん細胞を、病理医が顕微鏡で確認し診断しますが、がん細胞の形や集まり方などをもとに分類したのが組織型です。肺がんは、まず「小細胞がん」と「非小細胞がん」に分けられます。それぞれに特徴があり、小細胞がんは転移しやすい特徴を持ちます。非小細胞がんは、さらに「扁平上皮がん」、「腺がん」、「大細胞がん」に分類されます。扁平上皮がんは喫煙者に多く、大細胞がんは増殖スピードが速いです。腺がんは罹患率に男女差がなく(他の肺がんは男性の比率が高いです)、咳や痰などの症状が出にくいという特徴を持ちます。この中で日本人に最も多いのは腺がんです。腺がんは肺野(肺の末梢の方)にできることが多く、肺がん全体の約6割を占めます。

<表1> 肺がんの主な組織型
扁平上皮がん 腺がん 大細胞がん 小細胞がん
頻度 26% 57% 3% 9%
喫煙との関係 強い あり あり あり
男女比 男性に多い 男女差なし 男性に多い 男性に多い
好発部位 肺門 肺野 肺野 肺門・肺野

以前は、臓器別または組織型別に、使用される抗がん剤が決められていました。ところが、それぞれの患者のがん細胞を、「次世代シークエンサー」と呼ばれる遺伝子解析装置で詳しく調べると、がん細胞が持つ遺伝子異常のタイプの違いによって分類することができるようになりました。同じ組織型のがんでも、遺伝子異常のタイプが違えば、効く薬が異なる可能性が高いです。

例えば、ある肺がん患者では、がん細胞の表面に現れる上皮成長因子受容体(epidermal growth factor receptor : EGFR)という蛋白質を作り出す遺伝子の一部が変異していたり、また別の患者ではALK(アルク)という蛋白質を作り出す遺伝子が他の遺伝子と融合して異常化し(ALK融合遺伝子)、細胞を増殖させ続ける蛋白質を作り出したりします。そこで、肺がんの患者を、EGFRの遺伝子変異を持つ患者、ALKの遺伝子構造異常を持つ患者、というように、「遺伝子異常別」に分類し、それぞれの遺伝子異常に最も合う薬を使うというのが、肺がんの治療におけるプレシジョン・メディシンです。

遺伝子検査によって、効く薬と効かない薬をあらかじめ判別することができれば、患者が効果のない治療を受けなくて済むことになり、そのメリットはとても大きく、また、医療費の削減にもつながることが期待されます。

<表2>治療効果予測因子としての肺がんドライバー遺伝子
ドライバー遺伝子 異常の種類 異常部位 日本人での頻度 治療薬開発状況
EGFR 変異 7p11.2 30~40% 承認済
ALK 融合 2p23 3~4% 承認済
BRAF 変異 7q34 1~3% 承認済
ROS1 融合 6q22.1 1% 承認済
FGFR1 増幅 8p11.23 20% 開発中
KRAS 変異 12p12.1 10% 開発中
MET 増幅 7q31.2 2~4% 開発中
HER2 変異 17q12 2% 開発中
RET 融合 10q11.21 2% 開発中
PIK3A 変異 3q26.32 2% 開発中
PDGFRA 増幅 4q12 ごくわずか 開発中
PTEN 変異 10q23.31 ごくわずか 開発中
H3F3A 変異 1q42.12 ごくわずか 開発中

ドライバー遺伝子とは、「がん遺伝子」や「がん抑制遺伝子」といった、がんの発生や進展において直接的に重要な役割を果たす遺伝子のことです。

2.リキッド・バイオプシーとは

プレシジョン・メディシンのさらなる普及のために不可欠とされている技術の一つが「リキッド・バイオプシー」です。「リキッド」は液体、「バイオプシー」は「生検(せいけん)」を指します。

患者のがん細胞の遺伝子を調べるためには、手術を受けていれば、その時に取り出した組織を使います。手術を受けていない場合や、受けたとしても取り出された組織が病理診断に不十分な場合は、生検といって、内視鏡や気管支鏡などを用いて、患部からがん細胞を取り出すことが必要です。しかし、生検は患者への負担を伴うため、何度も繰り返し行うことは容易ではありません。そのため、生検以外によるがん細胞の採取方法が求められていました。そこで、患者から血液・尿・唾液などの液性検体を採取し、その中に含まれているがん細胞や、がん細胞由来の物質(DNAやRNAなど)から遺伝子異常を調べる「リキッド・バイオプシー」に注目が集まっています。また、リキッド・バイオプシーは、抗がん剤に対する耐性を獲得する遺伝子変異など、がん細胞の遺伝子変化を時系列に捉えることができる技術としても期待されています。

3.日本のプレシジョン・メディシン、その未来

日本のプレシジョン・メディシンは、これからどういう方向に進んでいくのでしょうか。2017年6月27日、厚生労働省の「がんゲノム医療推進コンソーシアム懇談会」(座長 間野博行・国立がん研究センター研究所所長、東京大学大学院教授)が公表した報告書に、がんのプレシジョン・メディシンの計画が詳しく記されています。

第一は、抗がん剤に対応する特定の遺伝子異常の有無を調べ、抗がん剤を使うかどうかを決める「コンパニオン診断」です。

第二は、次世代シークエンサーを使って、多くの遺伝子について一度にまとめて調べる「遺伝子パネル検査」です。

第三は、がん細胞が持つ遺伝子すべてを調べあげる「全ゲノムシークエンス」です。

また、同時に構築しようとしているのが「がんゲノム情報レポジトリー」と呼ばれる、プレシジョン・メディシンの中心となるデータベースです。

その最大のねらいは、人工知能を活用して、データベースに蓄積した膨大な情報を解析することにより、新たなターゲットとなる遺伝子異常を見つけ出し、日本独自の革新的な新薬や診断法の開発に結び付けることです。

「人工知能の医療への応用」につきましては、同友会メディカルニュース2017年11月号をご参照下さい。
人間の頭脳のみでは思いつくことができない知識を、人間と人工知能がお互いの長所を生かしながら発見する時代が、すでに到来しつつあります。

また、人間と人工知能の協働によって、データベースで発見された新しい知識が、医療全体を根底から変革する日も近いです。

参考文献

  • 中村 祐輔 : 「がんプレシジョン医療」の現状と課題. 日本内科学会雑誌 107: 1688-1695, 2018.
  • 櫻井 晃洋 編集:遺伝子医学MOOK別冊 最新多因子遺伝性疾患研究と遺伝カウンセリング, メディカル ドゥ, 2018.
  • NHKスペシャル取材班:がん治療革命の衝撃 プレシジョン・メディシンとは何か, NHK出版新書, 2017.
  • 中西 洋一 : 肺癌治療の展開―バイオマーカーに基づいた肺癌薬物療法の有用性―. 日本内科学会雑誌 107: 1660-1669, 2018.
  • 中釜 斉 : がんゲノム医療の可能性を切り拓く基礎研究の深化への期待. 実験医学 36: 2462-2470, 2018.
  • 間野 博行 : がんクリニカルシークエンスのプラットホーム開発. 実験医学 36: 2471-2476, 2018.
  • 大津 敦 : がん領域におけるゲノム医療研究開発の国内外の動向. 実験医学 35: 2830-2836, 2017.
  • 田中 博 : バイオバンクのこれまでの発展の基本軸と将来の展望―バイオバンクの2つの流れと医療ビックデータ・人工知能. 実験医学 35: 3023-3036, 2017.

参考サイト

同友会メディカルニュース / 医療と健康(老友新聞)

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